藤田 元司氏 死去
藤田元司氏が死んだ。
歴代巨人の監督で一番嫌い(怖い人)だった。
私は一応、子供の頃、野球少年だった(つもり)。
皆がやるから俺もやる、みたいな軽い気持ちでやっていた。
しかも意気地も無く飛んでくるボールが怖かった(泣)。
かなりの下手っぴ~の「なんちゃって野球少年」。
そんな子供時代30年位昔の話、不確かだが市民ホールかどこかで藤田元司氏の講演があった。
市内の野球少年がかき集められた(自主的かどうかは覚えていない)。
現役の選手ならいざ知らず、引退してかなり年月の経った選手の講演に集まった少年たちは興奮も無くのっけから騒々しかった。誰ぞ偉い人の前フリの後、藤田氏がアナウンスされてマイク前に立っても拍手で迎えたのは、その後方で彼を囲むように椅子に座ってるオジサン達のみ、相変わらず少年たちは騒々しかった。
マイクの前の藤田氏は暫く無言だった。何分、我慢したんだろう・・・?
よく覚えて無いが随分、無言だった。
そして突然!それは本当に突然だった。
藤田氏
「私の話が聞きたくない者はこの場から出て行きなさい!」とマイクで一喝。
暫し置いて
「私の話が聞きたくない者はこの場から出て行きなさい!」と繰り返したのである。
余りの怒声に少年たちは誰も話さなくなった、誰もが固まって動かなくなった。
職員も慌て藤田氏をなだめてた。私にとって多分、生まれて初めて初対面の人に本気で怒られた日だと思う。(大勢のうちの1人としてだが)
これで私は「藤田氏嫌い(怖い人)」になった。
その後、藤田氏は長嶋氏の解任を受け巨人監督に昇り詰める。
これも世間の反応同様、私の「藤田氏嫌い(怖い人)」に新たな理由が加わる。
ここで私は選手たちに恋々たる思いはあるものの巨人ファンを辞める。
西武ファンへと乗り換えるのである。
1982~1983と西武で私は溜飲を下げる。
そして藤田氏退任後、私は再び巨人ファンへ。
しかし後、藤田氏は巨人へ復帰、私は再び西武ファンへ。
そして藤田氏退任後、私は再び巨人ファンへ。
藤田氏の動向次第で私の応援する球団が変わっていたのである(苦笑)
今日のスポーツ紙の見出し「藤田 元司 死去」の報をを見て、複雑で表現し得ない思いを感じた。
ネットで藤田元司と検索してみる、こんなエピソードが載っていた。
慶應義塾大学出身かつそのスマートさから、現役時代から「紳士」のイメージだったが、きわめて短気な性格(自身でも認めている)で「瞬間湯沸し機」の別名でも有名だった。
・・・中略・・・
最初の巨人監督就任は、絶大な人気を誇る長嶋監督解任の後を受けての就任だっただけに、世間の風当たりは強く抗議の手紙が殺到した。マスコミの反応も冷ややかなもので、1年目にいきなり日本一に輝くと、「活躍しているのは、みんな長嶋が伊東キャンプで鍛え上げた選手だ」と藤田より長嶋の功績を称えた。このような状況にも冷静な反応を示していた藤田だが、正力亨オーナーまでがムードに乗って長嶋ラブコールを送り始めると、さすがに堪忍袋の緒が切れたようで、オーナー室に乗り込み、正力オーナーに「私のことがいやなら、私は1年で辞めます」と直談判している。面目躍如である。
嫌いな人(怖い人)ではあったけど、講演以後、人の話を聞くときは結構静かになりました。
ご逝去を悼み、心よりお悔やみ申し上げます。
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