甲府一泊(with義父)

広報MINORU

2012年11月25日 23:00

本日は1月長崎以来の義父と彼女と私の組み合わせの三人での甲府プチ旅行。

スケジュールはお昼に吉田うどん
15時頃にいつもの「天然温泉ドーミーイン甲府ホテル」にチェックイン
温泉でのんびり
19時頃にほうとう屋「小作」で食事
ホテルに帰ってまた温泉でのんびり
翌朝起きて温泉でのんびり
8時半に甲府発
10時半に到着
ってゆるゆるのスケジュール

で実際は10時半に調布インターチェンジからに中央高速に乗ったのだけど走って直ぐに渋滞情報が表示されていた。
中央高速富士線の河口湖〜富士吉田インターチェンジ間の渋滞11キロは第一回富士マラソンの影響らしい。

渋滞情報も通過に掛かる時間を言わないのでかなり怪しいと思い、それで吉田うどんはあっさり断念。
モバイル駆使して都留インターチェンジで降り、都留うどん「うえちゃん」に寄って食べる事にした。

都留で降りたのはたまたまだったのだけど・・・
実は都留は義父と義母が大学で出会った思い出の地。
義父にとっては1965年の卒業以来、二度目の都留訪問(前回一度目は慌ただしく旧学校跡地-現都留市役所を見ただけだったらしい)。

まず国道139号線を南西方面へ都留うどん「うえちゃん」向かって走ってると義父が「谷村駅」の看板を発見。
「駅へ寄って欲しい」との義父の言葉を受けて国道を外れて駅へ着くと何となく往時の雰囲気が残ってたようだ。



義父はキョロキョロしながら駅舎に入って行って駅員さんと言葉を交わしていた。
駅の位置で記憶の扉が少しずつ開いてきたみたいだ。

再び車に乗り込むと義父が「国道に戻って右に曲がった所のお菓子屋で学生時代にバイトをしてたんだ」と言うのでその場所に向かうと何と何とそのお店は現役で営業していた。



店内に入るとお店の人は居なかったのだけど何度か声を掛けて暫くすると店奥から品の良いおばあ様が出てきた。



義父が当時バイトをしてた事を告げると「もう私も80云才、50年も前の事であなたを覚えて無いわ・・・」と。
それでも数年前に亡くなったご主人の話も聞かせて頂いたり。
「この辺りで当時のまま残ってるのはウチを含めて二軒だけなの」と。
更には「訪ねてくれて嬉しい」とおっしゃってくれた。
私たちは現在お孫さんが焼くお店のおせんべいを購入してずいぶん嬉しい気持ちで店を後にした。

それから義父は旧学校跡地(現・都留市役所)へ向かって欲しいと言うので立ち寄る。
すると今は無き旧校舎を思い出すように「あそこに音楽室があってピアノの練習で気が狂いそうになったんだ」等と聞かせてくれた。

これで終わり・・・と国道へ戻った所で「確か左側に母さん(義母)の下宿先があったんだ」と義父がポツリ。
ついでなのでその場所へ行ってみると何と何とこれまた現存していたのである。
しかも都留市文化財として。





更には一般解放をしていたのである。
建物に入ると委託職員さんが向かいの建物から追っかけ出てきた(常駐するほど見学者は居ないようだ)。
50年前に義母が下宿していた事を告げると驚きつつも建物の説明を丁寧にしてくれた。当時は一階で織物の商い、二階は下宿として使っていたようだ。
本当に立派な大した建物、往時の都留の織物業の盛況振りが何となく伝わった。



期せずして義父の思い出巡りになっちゃって何だか親孝行出来た様な気がして嬉しかった。

義父が満足してくれた所で改めて都留うどん「うえちゃん」へ。

ごくごく普通の一軒家。
しかし混んでたなぁ。
味はもう最高。
馬肉の味付けが妙に実家の味付けに似ていて、嵌っちゃって泣きそうな位に懐かしかった。


それから甲府へ向かった。
ききょう屋の工場へ寄って甘菓子買ってホテルに到着は15:30。
私と彼女は義父と別れ一時間ほどウォーキング。
汗を掻いたところで私は義父と再び合流。
温泉へ。
ゆっくり汗を流し部屋で暫し休憩。

それから3人で夜の街へ出た。
今宵のメイン料理は「ほうとう屋小作」。



「旬鮮 海サラダ750円」の魚介類の多さに義父が喜ぶ。



「鳥もつ500円」はちょいと焦げ臭を感じたが・・・
その他「串焼盛750円」「鳥皮の酢の物400円」「ふわふわ山芋揚げ」を食べて。
〆に「牡蠣ほうとう1600円」を注文。



これは無難なお味で綺麗に〆る事が出来た。

義父もずいぶん満足してくれたようだ。
ホテルに帰り義父の部屋で更に缶チュウハイとビールで乾杯!

何だか・・・何だか・・・嬉しい一日がこれで終了。

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