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Posted by naturum at

2006年03月13日

海は誰のものか・・・。

「漁師に海を任せて良いのか?」この頃よく思う。

田畑は成長の度合いによって収穫に見当がつく。
撒いたタネや苗からの収穫だ、搾れすぎは無い。

片や海は無茶だ、殆ど生産無くして収穫のみだ。
日本海の鰯を見る通り、漁師の尊厳は失われている。
世界初の魚探を開発した「フルノ」がいつか日経新聞で扱われていたが、その中で「フルノ」の魚探を先んじて使った漁師が余りの水揚げで「漁の神様」と尊敬され引く手数多になったと書いてあった。

それから数十年、時代は変わった。
漁獲高を競っている場合では無くなった。
日本はこれから人口が減っていくのである。
生活出来ないからと海外の漁場へ向うのも見当違いだし、海外の需要に応えようとするのも然り。
生産無き収穫はありえない。当世のみで海を潰すつもりなのだろうか?
「昔は・・・昔は・・・」と漁師は愚痴り、深みに嵌る。

スーパーの魚介類の廃棄率は目を覆うばかり。
死んだ魚が売れなかったから再利用といっても元の魚にはならない。

釣り船も然り、釣った数で客寄せを考える。
ある地方の船宿は「コチラの都合」も知らず、ただ数を釣らせられなかった事を詫びる。
「魚も食わぬ、釣り好き」そんな輩が沖へ出る。数釣りをさせれば追々資源が枯渇する現状を理解しても、その場を凌ぐ為に釣らせようとする船宿。
誰ぞ「そんなに釣ったら次に来た時、居なくなんだろうが!」位、言ってくれないだろうか?

次代には廃業を勧める漁師たちがいる。  


Posted by 広報MINORU at 00:46Comments(0)日々徒然