2007年02月11日
アマダイ 再考
2004年01月19日神奈川県 腰越港「○○○丸」とは縁が無ぇのかな・・・
2004年02月11日神奈川県 腰越港「多希志丸」アマダイ今期終了
2005年11月10日神奈川県 腰越港「多希志丸」アマダイの誘惑
2007年02月07日葉山あぶずり港「たいぞう丸
BLOGを始めて最初のネタはアマダイ釣行だった(これも縁だった気がする)。
その以前から、まともに釣れてない事を考えると最も苦手な釣りになってしまった。
ただ逃げるわけにも行かない(って大袈裟か・・・)から「釣り情報」「つり丸」や「仕掛けの本」など様々な本にも目は通す。しかし結果は出ない。完全にアマダイの迷路に入り込んでいる。
「アマダイへの思い」
10代の頃、福岡県は玄海島の叔父の操船でイサキ狙い・マダコ狙いで2度ほど沖に出た事を覚えてる。それ以来、沖釣りはやっていなかったのだが、30代前半に磯釣りが好きな友人と知り合って「美味い魚を食べたいから沖釣りに行こう!」と言う話になった。それで他にも何人か集めて大磯「御供丸」(好きな事が出来て、初心者でも安心な船として弟に紹介してもらった)を仕立てた。その時は釣りモノの知識も無かった私らに船宿が勧めてくれたのが「五目~アマダイ」だった。
船頭の指導の下、五目も大成功でサバ・鯵は沢山。更にアマダイも1・2尾は釣った(この頃の順位はこんなもんだった)。アマダイの有難味が分らなかった私ら、釣ったそれらをクーラーに適当に入れて沖上がり。その後、クーラーの蓋を開けて記念撮影をしてると、通りかかった叔父さんが「アマダイは高級魚なんだからキチンと氷の効くところに入れてあげなきゃ、鯵・サバなんぞはどうだって構わない」なんて言って通りすぎた事を覚えてる。釣った魚はそのまま友人宅に持って行き、誰も魚などまともに下ろしたことも無くウロコだけを取って筒切りにして鍋にぶち込んだ。当然、サバも鯵も一緒にである。味は雑多も「新鮮だから美味い美味い」なんて言いながら。ただ中でも、そのアマダイのシットリとした身に随分と驚いた事は今に覚えてる。その良い印象も手伝って、それからもアマダイ狙いは毎年1・2度程度は続いた。その頃は何も考えず、それでもボチボチ釣れていたから不思議なもんである。
その後、私の釣り人生は大きな転機を迎える。
2002年暮れ、我が愛すべき釣りクラブ「MFFC」が誕生したのである。
この釣りクラブ、一年間で10種類程度のお題の魚を会員が釣ってそれぞれの重量を競うクラブ。発起者の一人であった私、その思い入れの強さから「アマダイ」もお題のひとつにと推薦、それが叶う。
しかし、そこからだった。アマダイが我が針に掛かる事が無くなったのは。
船宿を変えても、竿を変えても、天秤を変えても、仕掛けを変えても、置き竿も手持ちも、手返しを幾ら増やしても釣法を変えてもアタリすら無いのである。
もう、この頃は本当に『泣き』。
それでも「いつか」を夢見て「釣り情報」を読み直す。
平成19年1月1日号「沖藤武竿」さんの記事をちょいと抜粋。
「三浦半島の佐島で行われている底延縄漁では約1キロの延縄で10尾釣れれば上出来・・・中略・・・だから遊漁船の釣果はかなり優秀・・・」と続く。
そうなのである!中々、釣れないもこれで納得。これでBLOGに紹介出来る敗北時の言い訳が見つかった!って事で、早速のUPです。はい、そういう事なんです。
前回、同行者でありクラブ員の小笠原選手のアマダイ釣行は過去4度。彼は言う「アマダイは今回で4戦3勝です。」って。余談ではあるが、その内2回でスポニチ(名前のみ)・つり丸(写真あり)で掲載もされている。更に2004MFFCのアマダイ部門優勝で第4回MFFCもアマダイ部門暫定1位。唖然とする好結果なのである。
そして↑画像。ここ4年での私の最大130gである、空しい。
2004年02月11日神奈川県 腰越港「多希志丸」アマダイ今期終了
2005年11月10日神奈川県 腰越港「多希志丸」アマダイの誘惑
2007年02月07日葉山あぶずり港「たいぞう丸
BLOGを始めて最初のネタはアマダイ釣行だった(これも縁だった気がする)。
その以前から、まともに釣れてない事を考えると最も苦手な釣りになってしまった。
ただ逃げるわけにも行かない(って大袈裟か・・・)から「釣り情報」「つり丸」や「仕掛けの本」など様々な本にも目は通す。しかし結果は出ない。完全にアマダイの迷路に入り込んでいる。
「アマダイへの思い」
10代の頃、福岡県は玄海島の叔父の操船でイサキ狙い・マダコ狙いで2度ほど沖に出た事を覚えてる。それ以来、沖釣りはやっていなかったのだが、30代前半に磯釣りが好きな友人と知り合って「美味い魚を食べたいから沖釣りに行こう!」と言う話になった。それで他にも何人か集めて大磯「御供丸」(好きな事が出来て、初心者でも安心な船として弟に紹介してもらった)を仕立てた。その時は釣りモノの知識も無かった私らに船宿が勧めてくれたのが「五目~アマダイ」だった。
船頭の指導の下、五目も大成功でサバ・鯵は沢山。更にアマダイも1・2尾は釣った(この頃の順位はこんなもんだった)。アマダイの有難味が分らなかった私ら、釣ったそれらをクーラーに適当に入れて沖上がり。その後、クーラーの蓋を開けて記念撮影をしてると、通りかかった叔父さんが「アマダイは高級魚なんだからキチンと氷の効くところに入れてあげなきゃ、鯵・サバなんぞはどうだって構わない」なんて言って通りすぎた事を覚えてる。釣った魚はそのまま友人宅に持って行き、誰も魚などまともに下ろしたことも無くウロコだけを取って筒切りにして鍋にぶち込んだ。当然、サバも鯵も一緒にである。味は雑多も「新鮮だから美味い美味い」なんて言いながら。ただ中でも、そのアマダイのシットリとした身に随分と驚いた事は今に覚えてる。その良い印象も手伝って、それからもアマダイ狙いは毎年1・2度程度は続いた。その頃は何も考えず、それでもボチボチ釣れていたから不思議なもんである。
その後、私の釣り人生は大きな転機を迎える。
2002年暮れ、我が愛すべき釣りクラブ「MFFC」が誕生したのである。
この釣りクラブ、一年間で10種類程度のお題の魚を会員が釣ってそれぞれの重量を競うクラブ。発起者の一人であった私、その思い入れの強さから「アマダイ」もお題のひとつにと推薦、それが叶う。
しかし、そこからだった。アマダイが我が針に掛かる事が無くなったのは。
船宿を変えても、竿を変えても、天秤を変えても、仕掛けを変えても、置き竿も手持ちも、手返しを幾ら増やしても釣法を変えてもアタリすら無いのである。
もう、この頃は本当に『泣き』。
それでも「いつか」を夢見て「釣り情報」を読み直す。
平成19年1月1日号「沖藤武竿」さんの記事をちょいと抜粋。
「三浦半島の佐島で行われている底延縄漁では約1キロの延縄で10尾釣れれば上出来・・・中略・・・だから遊漁船の釣果はかなり優秀・・・」と続く。
そうなのである!中々、釣れないもこれで納得。これでBLOGに紹介出来る敗北時の言い訳が見つかった!って事で、早速のUPです。はい、そういう事なんです。

そして↑画像。ここ4年での私の最大130gである、空しい。
Posted by 広報MINORU at 23:10│Comments(0)
│日々徒然
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