2006年07月14日
ジダンに思う
↑のシーンをどう思うか・・。
イタリア―フランスの延長後半、フランスのジダンタリアのマテラッツィを頭突きで倒したこの行為。
その代償としてジダンは退場。
それからフランスは明らかに失速した。
今になってFIFAも原因解明に動き始めた。
私は「なんと悲しい行為を・・・。」と思った一人である。
ジダンは「光」である。
その「光」を持つ事を許された者がする行為では無かったと思うからである。
言われた内容で樹上酌量の余地もあるが・・・。
「言ったが悪いか、手を出したのが悪いか」
内容的にはやんちゃな子供の頃から直面し続ける男のテーマ。
人はそんなに冷静にも生きて行けないのも判っている。
ジダン一人で予選からやって来た訳ではない!
ジダンほどの「光」は無くとも他のメンバーはW杯を手にしたかったのでは?
とも思うし、「ジダンの引退」でフランスが結束しなければ決勝までは?と思うのも然り。
極論「死刑廃止派」か「死刑存続派」位の思想の違いであると思っている。
ただ日本社会は手を出した方が罰せられるのは確か(世界的には良く知らぬ)
思想と言えば「百年の孤独」(何故か日本では本家本元より、その本をイメージして作られた焼酎の方が有名ですが)を書いた南米唯一のノーベル文学賞受賞者「ガルシア・マルケス」。その人の作品に「予告された殺人の記録」と言う本があります。
これはやったらやり返すと言うラテン系独特の「仕返し」をテーマに書かれた本ですが、現代日本人には余り尊ばれない思想です。
ジダンはアルジェリア系ではあるけれど育ちはマルセイユ。
今回に限らず、あの「手を出す癖(確か2004年レアルが東京スタジアムで親善試合をやってた時も誰かに手を出してた)」はラテン系のそれか・・・。
で最もアングロサクソン系がマテラッツィだったのかも知れないな・・・。
なんて思ったりもして。
Posted by 広報MINORU at 20:45│Comments(0)
│日々徒然
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